ウルビーノのヴィーナスを見てきた感想

国立西洋美術館のヴィーナス展に行ってきた。古代ローマからルネサンス期までヴィーナスをモチーフにした作品が集めてあり、カメオのような小さなものから等身大のブロンズ像、長持の蓋に描かれたものまで様々だ。神話の一場面(アドニスの死、黄金のリンゴ争いetc)を描いた絵画も多く、子供の頃に熱心に読んでいたギリシャ神話を思い出してまた読みたくなった。ただそれよりもヴィーナスだけを描いたものの方が興味深く、ローマ時代には着衣だったヴィーナスが裸になり、イタリアルネサンス期には裸で横たわり、婚礼の長持に描かれ、「ウルビーノのヴィーナス」では人間として裸でベッドに横たわって流し目。懐妊祈願の象徴にもなり、一方では軍神マルスとの浮気を描かれるが、情事のあとを描いた作品であってもその表情は肉欲や情に流されているようには見えず毅然としている。それぞれの時代で人々が「美の女神」に対してどのような期待をしていたか〜すなわち何をもって美とするかは実に様々で、倫理の歴史をとても楽しく見させてもらった。
作品と関係ないところで配置順にも感心してしまった。次第に地下に降りていって薄暗い照明の最下層に秘密めいた「ウルビーノのヴィーナス」、また昇って神話のモチーフに戻り、最後に「キューピッドを鎮める“賢明”」がある。これは好奇心から絵画の覆いをめくろうとするキューピッドをヴィーナスが優しく咎めている図で、それ自体が別な絵画の覆いとして描かれたちょっとメタな作品。ここに描かれたヴィーナスは母性的だが、下階であれだけ扇情的な姿を見てきた後ではキューピッドではなく私のほうが「ここで見たことを口外しないで」と念を押されているようで...。