XXXによるYYYの構築

よくソフトウェア技術系の書籍や雑誌などを見ていて思うのだけど、「XXXによるYYYの構築」といったタイトル(主に技評)を目にするたびに思うことがある。
おそらく内容としては「XXXというものを使えばこんなことができちゃいますよ」ということが言いたいのだと推測できる。つまりプッシュしたいのはXXXで、YYYの部分は使用例にすぎないわけだ。大抵の場合はXXXは英字3〜4文字。これは今から説明しようとしている技術なのだから初見の読者には意味がわからなくても仕方がない。
問題はXXXだけではなくてYYYの部分も英字3文字であった場合で、XXXもYYYも知らない読者がこの見出しを見たところですぐには読む意欲が湧かないだろう。
技術を身につける意欲のある人ならまだしも、「職業プログラマだけど勉強めんどくさい、書籍を読む癖がついていない」人に対して勧めたとしても「なんすかこれ、意味わかんないし」という意識でしか読んでもらえない気がする。
XXXによる〜、っていう書き方からしてこの言葉の意味くらいはいまどき知ってて当然、みたいなプレッシャーがかかってしまう。
派生として「XXXで楽々YYY!」とかもあるけど、XXXの部分は日本語的な感覚として後ろに来たほうがいいんじゃないかな?こう感じるのって私だけだろうか。
「YYYの構築を(可能or柔軟or簡単)にする新(言語orツールorプロトコル)XXX」
とか。見出しにするには長いかな?