意味不明な写真と行動主義

id:torareteが撮り溜めた写真を見せてもらう。友達や猫の写真はともかくとして、ガラスにこびり付いた虫、雲、高いビルから下を見下ろした写真、潰れた蛾の写真などとにかく無意味な写真が多い。どこまで自分で現像しているのか知らないけど手間と印画紙の無駄じゃないのか?などと思っていると、
「撮ったときも特に意味があって撮ったわけじゃないし大切でもなんでもないんだけど、後で見直すとその時に何考えてたか思い出せたりしてけっこう楽しい」
のだという。なるほど、まったく無意味な写真が期せずして記憶/感覚の手がかりになっているわけだ。
私はどうも行動に移す前に意味を考えてしまうから出足も遅くなるし、実際は単に面倒だというだけなのに何やかやと尤もらしい理由をつけてやらず終いになってしまう。仮にそうした写真を撮ってみたところで未整理のまま放っておくことが罪悪のように感じられる。きちんとしたくて、そうできないことは最初からやらない方がいいように思ってしまう。
無意味を実践して楽しめる彼女は私には無い部分で、そこが魅力でもある。
私も見習いたいところだけど、結果を意図した時点で写真を撮る行為は無意味でなくなってしまう罠。